PMは自分を組織に食べさせることを考える
酔った勢いで買ったのか全く記憶にないが、自分のKindleにこの本が入っていた。
その中のハサミムシの章にこんな記述があった。
ハサミムシは肉食で、小さな昆虫などを餌にしている。しかし、孵化したばかりの小さな幼虫は獲物を獲ることができない。幼虫たちは、空腹に耐えながら、甘えてすがりつくかのように母親の体に集まっていく。これが最初の儀式である。(中略)あろうことか、子どもたちは自分の母親の体を食べ始める。そして、子どもたちに襲われた母親は逃げるそぶりも見せない。むしろ子どもたちを慈しむかのように、腹のやわらかい部分を差し出すのだ。
これを読んで衝撃を受ける共に、ふと「プロダクトマネージャーもこうあるべきなのかなあ…」という物思いにふけてしまったので、その内容をつらつらと書いてみる。
「自分をクビにする」という考え方
EMFMのep15にてカオスエンジニアリングとVPoEの権限委譲の話題があり、その中で以下のような話があった。
・2年か3年で自分をクビにするのが自分の仕事
・その期間にスキームや仕組みを作れないなら自分は無能だ
・自分の仕事をなくすことをしなければ次のフェーズには進めない
組織が個人のスキルに依存してしまうと、その個人のポテンシャル以上の成長は見込めないし、その個人がいなくなったときに組織が崩壊してしまう。ただ依存される個人の立場になってみると、その依存されている状態が心地よくなってしまい、その状況を変えようとしなくなるリスクがある。
特にプロダクトマネージャーやエンジニアリングマネージャーは、どうしても多くのスキルを求められるため依存度が高くなってしまう。しかし彼らのミッションは「プロダクトの成長を最大化すること」「エンジニア組織のパフォーマンスを最大化すること」であって、「自分が組織において重要な位置にいること」ではないはず。
常に長期的かつ客観的な視点からミッション遂行のために何をすべきかを考えると、「自分をクビにする」という考え方は大切なことだなあと思った。
「プロダクトマネージャーはいなくなる」という考え方
この記事にこんな記載がある。
最も重要となるのは、プロダクトマネジメントが組織で広く理解され、きちんと所有されることである。(中略)いずれは企業に「プロダクトマネージャー」と呼ばれる人がいなくなる可能性もあるだろう。だが、プロダクトマネジメントの専門技能はさらに重視されることになるはずだ。
PMが優先度を決めたり取捨選択をするのが組織において必要であることは間違いない。ただその役割を組織が持ち、個人に依存しなくても正しい意思決定ができるようになれば、コミニュケーションコストが無くなりチームのパフォーマンスはより最大化される。つまり最終的にPMがいないことがベストな状態なのかもしれない。
PMは自分を組織に食べさせる
プロダクトマネジメントが属人的になっている状態、つまりPMがいないとプロダクトに関する意思決定が進まないという状態は、それ以上の成長が見込めないため健全とは言えない。そしてその状態にPMが心地よくなってしまってはいけない。PMとして求められる姿勢は、自分の中に「体系化された知識」という栄養を作り、それを組織に食べさせることなのではないかと思う。ハサミムシの母親のように。
つまりまだ成熟していないプロダクトや組織でプロダクトマネジメントを行い成功体験を積み、そこで得た知識や意思決定ロジックの体系化を進め、それをチームに徐々にインストールしていき、少しずつ自分への依存度を減らしていく。最終的にPMがいなくても同じロジックで意思決定ができるようになれば、PMとしての任務は完了する。
幸いにもハサミムシの母親のように死ぬことはないので、その組織にPMが不要になればまた個人によるプロダクトマネジメントが必要な次なる組織やプロジェクトに移っていけばいい。それがPMとしてあるべき姿なのかもしれないと思う。