ヘビーユーザーがプロダクトに見限られたと感じる際に起こる、負の感情の暴走について
これは何か
ライフサイクルの一部となっているプロダクト・サービスの大幅な方針転換により、自分が明らかにメインターゲットじゃなくなった時に、そのヘビーユーザーの中に起こる「負の感情の暴走」について書いたものです。今回自分がその当事者(=見限られたヘビーユーザー)になる機会があり、プロダクト提供側としても教訓になりそうだったので、記録として記事に留めることにしました。
きっかけはNewsPicksのUI大幅変更
先月NewsPicksのアプリUIが大きく変わりました。リリース前は少し楽しみにしていたのですが、いざ使い始めてみると「自分はメインターゲットではなくなった」と感じ、自分でも予想していなかった負の感情と行動が見られるようになりました。
まず自分はどのようなユーザーなのか
ローンチ当初からのヘビーユーザーで、大きく以下3つの目的で利用し続けていました。
- 幅広い情報源からニュースを知りたい
- コメントを書くことでアウトプットスキルのトレーニングとしたい
- 質の高いオリジナル記事を読みたい
よって、リニューアル前のカテゴリごとに理路整然と並んでいるUIは、能動的に記事を探すには最適なUIでした。毎朝のルーチンワークは、[総合トップ]タブのニュースタイトルを上から見ていって、気になったものは開いて記事を読み、思ったことがあればコメントし、一通り見終わったら次のタブに移り…(以下繰り返し)という感じでした。
またオリジナル記事が増えたり、番組を配信したり、書籍を出版したり、享受できるコンテンツの種類もどんどん豊富になってきたため、コンテンツ消費が追いつかないと感じることも増えてきました。それくらい愛用していました。恐らくアプリを開かない日はないぐらいのヘビーユーズっぷりだったと思います。
ただ、コンテンツが増えるにつれて少しずつ違和感も生まれ始めました。それは「危機感ドリブンの情報商材感」です。
どのコンテンツからも「そのままだとヤバいからインフルエンサーが言ってることに従おうぜ」感を感じとるようになりました。数年前に自分のキャリアを見失ってた頃があったのですが、その頃はそのメッセージがガッツリ刺さったりもしました。ただある程度自分が落ち着いたら分別がつくようになり、一部のコンテンツ(主に書籍と番組)に魅力を感じなくなっていきました。
またユーザーが増えてくるにつれて、記事に対するコメントも「マウントの取り合い感」が増してきて、各々の知識をひけらかす場となってきました。以前は有識者のコメントとして参考にさせてもらっていたのですが、ここ最近は事実に基づかないコメントも増えてきたため読まなくなりました(もしかしたら昔から多かったけどただ自分が見分けられなかっただけかも)。また、自分もその「マウント合戦」に参加するのが嫌になったので、コメントする機会も減っていきました。
なので、最近はシンプルに「ただ網羅的に記事を探して読みたい」ユーザーでした。まあニュースアプリとしては普通のユーザーですよね。
なぜUI変更によって見限られたと感じたのか
明らかに「受動的なユーザー」をメインターゲットにしていると感じたからです。
UI変更の内容をざっくりまとめると
- ワンフィード:Twitterのように縦にスクロールしていくと次々に記事が出てくる
- パーソナライズ:フォローしている人がPickした記事が出てくる
- コメント重視:記事カードの中におけるコメントの割合が大きい
という感じです。
これを初めて使った時に「あ、これは人にお勧めされたニュースをただ読むだけのユーザーがターゲットになったんだ」と感じました。つまり能動的・網羅的にニュースを探すユーザーより、受動的・断片的にニュースを知りたいユーザーをメインターゲットにしたということかと。
pixivにせよNewsPicksにせよ、元々「能動的に情報を探す」という体験を楽しめていた場所において、レコメンドやパーソナライズなど受動的な要素を強くしたUIに変更してしまったことで、その楽しみを奪われた既存ユーザーの反発が生まれている印象。
— 久津佑介(HisatsuYusuke) / プロダクトマネージャー (@Nunerm) 2020年11月5日
レコメンドやパーソナライズも万能ではない。
あとはシンプルにUIとしての質が悪かったのもシンプルに嫌気が差しました(今ではだいぶ改善されてます)。
特に一番嫌だったのがこの機能。「人にお勧めされてるから読めよ」感丸出しだし認知コストが高すぎるので、これが出る度にイラッとしました。
NewsPicksの新UIにまだ慣れないのだが、一番嫌なのが「AさんがBさんのコメントに〇〇と言っています」の表記で、情報の順番がAさん→Bさんのコメント→コメントしたニュースなのだが、最初にニュースを認知しないとコメントの意味がわからないので毎回下から読まないといけない。これ結構ストレス。
— 久津佑介(HisatsuYusuke) / プロダクトマネージャー (@Nunerm) 2020年10月21日
その時に起こった負の感情の暴走
既にいくつか貼っていますが、文句のコメントやツイートを度々行うようになりました。今まであんまりこういうツイートはしたことないので、自分でも少し驚きましたが、言わずにはいられないって感じです。この記事もその一部です。
またこの記事を書いている時点では、以前のUIが部分的に復活し理路整然とニュースが並んでいるUIが戻りました。なので以前のように使えるはずなんですが、なぜかアプリを開く気にならない。
つまり、シンプルに使いたくなくなったんですよね。これは論理的なものではなく、完全に感情的なものです。
そもそも、このUI変更自体は別に悪いものだとは思っていません。 事業戦略上、収益を多く生み出すユーザーに合わせたUIにすることは当然のことです。以前から若干「情報商材感」を強めに出してましたし、どこかのコメントで「旧UIでも総合トップしか見ていないユーザーが多い」という発言もあったので、受動的なユーザーの方がLTVが高いのかもしれません。プロダクトマネジメントをしている立場から、それは十分に理解できます。
ただ、この論理よりも、感情が上回ってしまうんですよね。
これは好きなバンドが少し売れ始めたら、売れ線の曲を出し始めた時に感じるあの失望感と近いものがあります。
一度こうなってしまったら、後から言い訳をされようとも、どんなフォローをされようとも、元の感情に戻ることはないんですよね。
またこれは元々ライフサイクルに組み込むほど愛用していたからこそ起こったものだと思います。最近似たケースでマネーフォワードのUI変更に対する批判がありました。
自分はマネーフォワードも使っていましたし確かに新UIは不便だと感じましたが、NewsPicksのケースほど負の感情は生まれず、今でも普通に使っています。これは元々そんなに「愛用」というほど利用しておらず、特に見限られた感も感じなかったからだと思います。
というわけで、この出来事からプロダクトマネージャーとして得られた教訓は、
ヘビーユーザーは見限られた感を感じると、クレーマーになるほどダイナミックに離反する
です。
その「見限られた感」は様々なきっかけで生まれると思います。プロダクト開発側が思いも寄らない理由で生まれるかもしれません。それを防ぐためには、しっかりユーザーがプロダクトを利用するコンテキストを理解する必要があります。
ただ、ユーザーに嫌われないようにすることだけがプロダクトマネジメントではありません。プロダクト戦略上メインターゲットを変えたり、大きく世界観を変えるレベルの変更をする必要もあります。ただし、その際は一定のヘビーユーザーを失う覚悟、そして非難を浴びる覚悟は持たなければなりません。後から「機能を戻しました!」とか中途半端にフォローしたところでもう遅いのです。
N=1から得た、かつガッツリ主観の入っている学びなので、もちろん全てのヘビーユーザーに当てはまるものではないとは思いますが、気にしておいて損はないと思うので記事にしてみました(決してNewsPicksをディスるための記事ではありません)。
プロダクトマネージャーの皆さん、辛いこともありますが頑張りましょう。